「ゲルマノダクティルス」途中絵その8

何らかの創作物を作るとき「ありがちに、はまらないこと」はすごく重要だけど難しいです。

 

以前デジタルのみで絵を描いていた時は想像上のクリーチャーを描いていました。少なくとも私にとってクリーチャーをありがちにしないことはそんなに難しく無かった。私が考えた変な生物たちは、この世の中でまだ誰も描いたことがなくて私がはじめて描くんだから。

 

でも、猫を描くようになって「ありがちに、はまらないこと」は常に気に掛けてないと難しいことになりました。翼竜たちが私の絵をありがちからなんとか救ってくれているのかも・・・。

 

写実がダメと言っているんじゃ無いんです。

デフォルメされた民芸風の猫は、それはそれで色んなところでよく見かける別ベクトルのありがちでしょ?

絵手紙を創造した人は当初ありがちじゃなかったのかも知れないけど、今や絵手紙はほぼ100%ありがちになっちゃった。

 

「ありがちに、はまらないこと」を究極まで突き詰めると、こないだ言ってた「唯一無二感」と同じ話ですね。